車ポン付け即開始と集団心理 - 初心者に読んでほしい思考・行動

車ポン付け即開始と集団心理

 11,2014 21:54
リクエストにお応えして(というか、勇気づけられて)



シリーズ第一弾





何故  「 車 ポ ン 付 け 即 開 始 」  が・・・・・





釣れない の か






集団心理というものがある。

集団心理(しゅうだんしんり)とは、社会心理学の用語で、その社会の構成員である集団が、合理的に是非を判断しないまま、特定の時流に流される事を指す。


wikipediaより





夏。

暑さに弱いぼらおさんが車に積んでいるタックル整理とプチメンテナンスをどこでしようかと悩み考える。
家では当然、したくない。
まず車から荷を下ろして部屋に持ち込み、荷を展開して・・・・・なんて考えるだけでタックル整理の労力に費やすべきカロリーの90%を消費してしまいそう。

ふと閃いて、港湾の海のすぐ側にある場所に駆けつける。
あの場所のあの建物がうまい具合に日陰になっているのではなかろうか。
メンテや整理したすぐそばから(必要なら)投げて調子を確かめることもできるのではなかろうか、と。

すると、ビンゴ。涼しく楽に、だらしなく時間を過ごせる。

そんな楽しいひとときを過ごしていると、決まって邪魔者が現われる。

そう、初心者が現れる。




思うに、水辺に誰かがいる、釣具を広げている、釣りらしき動作をしている、というのははっきり言って




好ましくない事態




と分類されるべきだ。

それは明らかに自分のライバル、シーバス釣りにおいては自分の釣るべきシーバスを潜在的に減らしうる、害悪であると言える。

よって、中級者以上の人は他の釣り人が居ないフィールドを愛する。
左右に自由に移動またはトレースコースの変更が出来ないというのは苦痛でしかない。
「隣人」は障害物でしかない。

ところが、初心者の心理においては「人がいる」という事態は「釣れる可能性がある」という、なんとも摩訶不思議な(どう考えてもそこに相関性はない)な論理的昇華を果たす。


初心者は全てにおいて自信がない。

釣れる場所にも自信がない。
釣れる時期にも自信がない。
情報収集にも自信がない。
そもそも釣行回数が少ない。
釣れた実績データの蓄積もない。

よって「人がいる=釣れる可能性がある」という藁をもつかむ思い的な思考回路を辿るらしい。

そういう人が、車ポン付けの港湾の日陰で愛するタックルをだらしなくメンテしながら(実は確認してるだけで釣る気なんてサラサラ無い)キャストをしているぼらおさんを見かけるとどうなるか。

ただっ広い(というか、左右百メートルに他の車も人も存在しない)港湾なのに、ぼらお号の横15m(5mでもなく10mでもなく15mというのがミソである)に付けて、やおらと海を一瞥して「どれ、今日の海の様子はどうかな、魚はいるのかな」という顔つきを見せたあと、タックルを取り出すのでありました・・・

多少なりとも社交性がある方からは「こんにちは、どうですか、釣れますか?」なんて声を掛けてもらうこともあります。

ですが、どう答えてあげるのがベストなんでしょうか?



アングラーとして一番親身となった回答は

「こんな場所で釣れるわけねーじゃんギャハハーwバカじゃねーの?」


だと思ってます。割りと本気で。

無論、シーバスという魚はそんな場所、そんな時間で釣れる可能性がある魚なんですが、それは300円払ったからといってサマージャンボ宝くじの一等が当たるかっていう話と同じですよね。

でも、小市民な自分はそんな世紀末救世主伝説的モヒカン的回答なんて出来るわけもなく、

「どうですかねぇ、まあ、釣れるんじゃないですか?(苦笑」

なんてお茶を濁すか

「今日はまだ来ませんがね、先日はここで◯◯センチを◯匹上げましたよ」

なんて罪のないウソをついてあげるほかないわけです。




冷静に考えれば、車ポン付け・車の半径5m以遠に出る必要もない釣り場で「穴場」とか「鉄板ポイント」とか、存在しないんです。

もう一度いいます。

存在しないんです。

イソメ房掛けのエサを使った「鱸釣り師」ならそのスタイルが正解の一つなのかもしれません。

が、ルアーマンにとって車ポン付け即開始のポイントはバチシーズンの真っ盛りを除いて、良いポイントであろうはずがないのです。

繰り返しますが、そういう場所で釣れる可能性は否定しません。

もしかして、シーバスが寄る・集まる・居着く要素が他の場所に比べてより一層大きい場所もあるかもしれません、


が、


結構、そういう場所は同じ思考を持った初心者か、脱初心者に四六時中狙われ荒らされており、「貴方が釣るその瞬間の生産性」においてはなんの確約ももたらしてくれない、ということです。





上級者のブログを注意深く読んでみてください。


彼らは人が居ないことを良しとしています。


人が居ないということは、その場所がアクセスに難がある可能性が高いということです。

それは別に物理的な踏破難度が高いという意味ではなく、駐車スペースから単純に遠い、駐車場代金が発生する、とある条件下ではないと「釣り場として成立しているようにみえない」、などなど、様々な要素から初心者が勝手に「ここは釣り場じゃない」とレッテルを貼ったフィールドが存在するのです。

たった500m歩けばパラダイスがあるのに、車から500mどころか200m程度すら歩くの厭う人がなんと多いことでしょうか。

逆にいえば、歩くこと・歩かねばならぬことはチャンスです。

それだけその場へ歩いていく人が少ないということですから。


もう一度だけ冒頭の集団心理とはなにかの定義を持ち出します。


集団心理(しゅうだんしんり)とは、社会心理学の用語で、その社会の構成員である集団が、合理的に是非を判断しないまま、特定の時流に流される事を指す。


初心者が釣る喜びを知らぬままシーバス釣りを去る理由の一つに、「釣り」というものが身体的に楽であるべき(つまりは車ポン付け即開始で荷物をもって歩き回るなんてもってのほか、一人孤独に闇の中を探索するんなんてとんでもない)という固定概念を打破できずに、「他の釣り人がいる」という根拠を基にしてB級どころかC級の大場所を「釣り場・マイホーム」として固定してしまう悲劇があるのかもしれません。


そこに人がいるから(だから自分も)、という集団心理はシーバス釣りにおいては一切用をなしません。
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Comment 3

2014.12.24
Wed
22:10

AK #-

URL

こんにちは、記事読まさせていただきました。
昔を思い出します。
ぼらおさんが書いてる事がよくわかります。
人が時あい待ちしてるといきなり入ってくるひと、しかも何も言わずにいきなりルアーをなげだす。
または、かせでウェーディングしてる時に容赦無く自分の下流側に容赦無く入ってくる人。
せめて一言言ってくれば心良く譲ってべつの場所に行くのですが?が付きます。
場所の開拓も面白いのですが、なんでみんなやらないのでしょうね〜
昔、和白干潟で釣れる事を見つけた時は相当嬉しかったです。しかも、和白干潟は上げ潮でも下げ潮でも釣りが成立するのですから目からウロコでしたよ。あと、全くひとと遭遇しない点も良かったです。
これからは、生月で磯ヒラ修行の日々に邁進いたします。



編集 | 返信 | 
2014.12.24
Wed
23:31

ぼらお #-

URL

この記事の趣旨とはやや違いますが、仕事帰りの「日常の釣り」で行き着くのは、やっぱりウェーディングですね。

人が居ない=自由

ということですが同時に

人が居ない=魚がいない・・・どころか実は居る可能性のほうが高い

という成功体験を得ることができたら、フィールド選択の際に大きなアドバンテージが生まれることを書きたかったのです。

和白干潟はエイさえ居なければもっとパラダイスなんですがね・・・



遠くへ出かけて釣る「非日常の釣り」はヨチヨチ歩きなので、これから頑張ります
生月島がんばってください!

編集 | 返信 | 
2014.12.25
Thu
00:30

AK #-

URL

生月ヒラ頑張ります。
超ハイプレッシャーフィールドですが、そこを攻略したら技術が進歩すると思いますのでやりがいがあると思います。
最近やりだしてから思う事ですが、昔ほど釣果にこだわらなくなりました、サラシの広がり方や潮の流れ、かんちょうじの地形などプロセスを楽しみながらやっております。
釣れるようになるには3年ぐらいの期間で計画を立てております。
楽しみながら頑張ります!

編集 | 返信 | 

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