「遠くの聖地」より「近くのホーム」 - 初心者に読んでほしい思考・行動

「遠くの聖地」より「近くのホーム」

 20,2015 17:31
これは確かサーフヒラメの言葉だったと記憶していますが、シーバス界においても初心者ステージに位置する者にはピッタリの言葉だと思います。


「遠くの聖地」より「近くのホーム」


これはシーバスが「日常の延長線上にいる魚」であること、柳田國男の言葉を借りるならば、マグロやGT狙いが「ハレの日の釣り」とするならば、シーバスは「ケの日の釣り」であること、つまりは特別な「遠征」を要しない魚であることが所以の言葉ですが、

※ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を表す
-ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AC%E3%81%A8%E3%82%B1

それに加え、もう一つのある要素が「近場を重視せよ」と示唆していることの表れでもあります。




それはどういうことかというと

シーバスは統計的にその行動をデータとして集約でき、なおかつ、そのデータを信用してよい魚だ

と、いうことです。





シーバスの行動様式は週単位のスパン、月単位のスパン、季節単位のスパン、年単位のスパンで”ほぼ”決まっています。

例えば

短いスパンでいうと・・・同じ天候(天候・気温・風向き・風の強さ)で同じ潮の同じ時間帯であるならば、仮に今日釣れたならば同じ場所で翌日も釣れる可能性が非常に高いということです。

長いスパンでいうと・・・「去年の今頃ここで釣れたから、今年もそろそろ釣れるかも」という根拠は実は正しいということです。

これを再現性の構築と呼びます。

再現性というと、「流れをドリフトして云々で反転と同時にトゥイッチを入れた瞬間に云々でスレて食ってこないシーバスに口を使わせた」ことを再度やってのけることを指すかのように思い込みがちですが、なんということはなく、釣った日と似たコンディションの日でまた釣ることも「再現性の追求」であることには変わりないのです。

故に、近いホームでシーバスの行動をパターン化するというのは実に理に適った戦略といえるでしょう。

別の言い方とすると、これは「データ化された回遊待ち」「パターン化してコントロール下にある根拠ある回遊待ち」でもあります。

自分ははっきりいって、「ストラクチャーを撃ちながらランガンするフィネスな釣り」より、この手の「回遊待ち」が得意です。

何故か前者が格好良く効率的な釣りであるかのように見なす風潮がありますが、個人的には回遊待ちは一度「確立」さえしたら「フィネスな釣り」より釣れると思いますし、初心者が「再現性」というものを考え成長していく要素をより多く与えてくれるとも思っています。



ここまで読んだらもう気が付かれたと思いますが、よく釣る中~上級者の人はこのデータベースがあるから「近場のホーム」においては圧倒的に有利なのです。















勿論、「昨日釣れたから今日も釣れる」という図式は崩れます。





それが釣りというものですから仕方ありません。


ですが、それが「月スパンの行動である」「シーズナルな行動変化の予兆である」など原因が見抜ける人は、次のパターン化に沿った釣りが出来るのでドツボにハマる期間が短いのです。
釣れない理由がわかるということは強みであり武器である、といっても過言ではないでしょう。これを為せるのは通い続けてデータを蓄積することが可能な近場です。

データを持っていない遠方のフィールドにおいて「釣れない」ということは「理由がわからない」ということであり、イキナリ暗闇の世界に放り込まれたのと同じ手探りで進む非効率さを甘受せねばならないということです。



上記の余談ですが、仮に釣れなくなったとしたら、まず考えられることは「似たコンディション」という前提が崩れたことにあるでしょう。

潮が動かなくなった。
冷たい風が吹いた。
水温が急激に上がった。
etc.etc.

これらは通っていればすぐに理解することができますね。


また、「表面的にはコンディションとして十分類似しているのに内実は変化した」ということも考えられます。

水中の酸素量が不足気味になった。
メインベイトの群れがなんらかの理由で突然消えた。
上流で工事が始まって水が変わった。
etc.etc.


こうしてデイリーな釣れなくなった理由を「ありえること」「普通ではないイレギュラーなこと」と分類して統計的に集約していくことは「明日」「来週」「来月」の釣りをより確実なものにするためであり、「来年」は今年よりレベルアップを果たせるようにするためでもあります。









閑話休題




クラウゼヴィッツの戦争論には「補給の困難は距離の自乗に比する」とあります。
孫子の兵法には「補給は難しいから持っていくな、現地で奪え」とあります。
(↑意外ですよね・・・「あの”孫子”なら、人心を得るために略奪は厳禁なのでは?」・・・みたいな感じがしますが、軍事官僚としての孫子は冷徹なリアリストです)

昔の物資補給は馬車な牛車なりで輸送されます。

当然、エンジンが軽油やガソリンを飲んで働くように、馬さんや牛さんも食べないと動けません。
牛馬はその荷台に自分が消費するものを載せるわけで、輸送距離が伸びるれば伸びるほど純粋輸送物資の量は減ることになります。
そこで問題なのが仕事量。
この話の馬さんのお仕事は、距離だけで求められるものではなく「距離x質量」で表されますから、距離が長いために必要な飼料の質量が増加することとは、その飼料を運ぶための飼料が必要になってくることにもなるのです。
つまり、この話における非効率さは、指数関数的な伸びを示すわけです。


例:
牛が100km先に荷台を牽いて行く労力を100とすると、200km先に行く労力は200、つまりは1:2で2倍の労力を要する・・・ということにはなりません。
それは100x100=10000と200x200=40000、つまり1:4で4倍難しいということになるのです。





ぶっちゃけ、シーバスにおけるフィールド通いも似たようなものでしょう。
釣り場までの距離が伸びると、その皆勤率の困難も自乗します。



10km内の自分の生活圏のフィールドはその「通勤」に時間的・金銭的負担が少ないので「皆勤率」が高まり、その統計化、データベース化がより濃密で正確なものとしやすいですが、それが30kmや50kmとなるとどうでしょうか?
皆勤の難しさは10km圏内のフィールドに比べて3倍、5倍という比率で増すのではなく、9倍、25倍と飛躍的な増加を見せることになるでしょう。


実際、1回の釣行の行き帰りにそれぞれ1時間と高速代ガソリン代が掛かるようだと、毎日通えるものでしょうか?
怪しいですね。














(約一名ほど、釣り場まで一時間半かかってもキチガイのように通い続ける人が確かに存在するようですが)




















このようにして


①シーバスはパターン化できる魚である

②パターン化するためには統計を取らねばならない

③統計の精度はデータ取得行為が連続すれば連続するほど、取得期間が長ければ長いほど向上する

④統計を取り、精度を高めるためには遠くより近場のほうが負担が少ない

⑤遠くの聖地より近くのホーム












という命題は完全なる論理化を果たされるのでありました。




壱岐・対馬・平戸・五島列島といった本当の「聖地」は、それはまたそれで「遠征」の対象として年一回~数回の「ハレの日の楽しみ」として位置づけるといいでしょう。
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Comment 2

2015.09.20
Sun
19:24

フェラ井 #-

URL

何か私の悪口のようなものが聴こえたようなそうでもないようなw

編集 | 返信 | 
2015.09.23
Wed
12:02

ぼらお #-

URL

No title

なんでもありません^p^

編集 | 返信 | 

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