観察眼と純粋技術 - 初心者に読んでほしい思考・行動

観察眼と純粋技術

 21,2015 22:15





観察力>>>>>キャスト技術>ロッドアクションテクニック










一部の上級者のような鬼のような釣果を目指すわけでもなく、「ほどほどに釣って楽しむ」にあたって最も大切なのは観察力。

この釣りに関しては絶対にそうだと確信しています。







とある、車で進入できる砂浜があります。
車で入れますが、タイヤが砂に埋もれる心配がないほど路面が硬いスペースは狭く限られている砂浜です。

広い砂浜ですが、その「限られたスペース」はどうみても満車状態なところに、一台の車がやってきました。

その混み具合を観察し、「ああ、これは無理だね」という判断ができれば、違う浜にいくでしょう。
福岡は浜辺が貴重であるほど砂に窮しているわけではありません。

しかしその車は引き返しませんでした。
入り口から近くに駐車できるようなスペースはありませんので、奥に奥にと進みます。
奥は空いているようにみえますが、そこに安全に行くには四駆でないと厳しいのは砂の状態からして明らかです。
ですがその車は緩い砂に入っていき、案の定、スタックします。
路面を観察していなかったからハマったわけですが、軽いスタックなので自力後退で抜け出せたようでした。

よかったよかった、じゃあ安全な別の浜にでも行こうか・・・・

にはならず、なんと、奥の空いたスペースに向けて再突入を敢行し、これ以上ないというくらいのドツボ(JAF救助コース)に陥ってしまいました。

自分がハマった状態を観察せずに、それより深い砂地を観察せず、ただその先に車が停まっているから自分も行けるという考えのようでしたが、よく観察するとそのスポットの常連サーファーの四駆ばかりであることにすぐ気がついたはずです。







この話は観察さえすれば苦労することなく「浜辺で遊ぶ」という目的を達成できたのに、何一つ観察することなく「俺はこうしたい」という自己意思の表現に執着したために損をすることになったという話です。

例えば、当日以前に現場の下調べをしていれば・・・
例えば、限られたスペースが車が埋まる前に、早く到着していれば・・・
例えば、最初の砂にハマって自力で抜けだした時に帰っていれば・・・
例えば、どうにもならなくなる前に周囲に助けを求めていれば・・・



実に暗示的ですよね。シーバス釣りと似ていて。




余談ですが、この話は「投げていればいつか釣れるだろ」的な確率論的な釣り方のアンチテーゼでもあります。
「投げていると、いや、投げれば投げるほどスレさせて釣れる確率が減る」ということは普通に起こり得ることです。
この「確率論的な釣り」の結末は、そこに居たシーバスが全部どこかへ散り去ったあとに新たなスレてないシーバスが入ってくるまで投げ続けること、という、かなり衝撃的なモノになりますが、いかがでしょうか?







さて、話は変わりますが、「どこにシーバスが付きそうなストラクチャーがあって、どこにベイトが溜まっていて、どういう水の流れが起きると釣りやすい状況になるか」というような、フィールドにおいての「環境に対する観察眼」は非常に大切です。

釣りをしない一般人は

・水があって
・水の中には魚がいて
・上手がエサ/ルアーを投げたら魚が釣れるor下手がやっても釣れない

という、実に短絡的もとい、実に暴力的な発想を展開します。

ですが、アングラーたるものそのような「水は水である」という(ある意味詩人的な)思考より上の観察をせねばなりません。


はたして水の中には魚がいるものなのか、いるとしたら魚は満遍なく平均的に分布するものなのか、いやそうではなく魚が特に好みそうな場所というものがあるのではないか、もし「特に好みそうな場所」が視認できたとして、それは何故そうなのか・・・


そういう考えを巡らずにフィールドの把握をせずに「水は水である」というマインド釣りをしたら、どれだけ上手にルアーを投げれたとしても、どれだけ上手にルアーを泳がせたとしても、その「上手さ」にはまるで意味がないことは自明の理でしょう。


観察とは満たされぬ知的好奇心を埋めていく行為だと思います。
ジグソーパズルの1ピースを埋めるという行為はさほど面白くはありませんが、パズルを完成さたときの達成感は1つ1つのピースを埋めることによってのみ得ることができる・・・と思いませんか?













例えば、同じ場所で釣って居る人がバンバン釣れたとして、自分は一切釣れないとします。

その相違は何なのか、「同じ場所」にみえるが実はその人が投げる特定範囲だけのことなのか。
これを”観察できる人”はまず自分とその人の投げている場所の違いを観察し、その釣り方の違いを観察し、自分なりに考えをまとめた結果が「特定範囲」であるとしたならば、釣っている人に「あそこに魚が集まる何があるんですか?」という聞き方をするでしょう。
答えは見えないストラクチャーであったり、そこが確定的に決められた魚の回遊ポイントであってり、特定ベイトのたまり場であったりするかもしれません。

それか、「全域でチャンスがある状態だけれども自分の何かが違っている」とした場合、自分とその人の違いを観察したうえで模倣ができるならばそう行い、どうしてもできないならば「こう思ってしたのですけど、釣れません。何か特別なコツがあるんですか?」という聞き方をするでしょう。
ルアーの差(サイズやシルエットやアクション)であったり、レンジであったりトレースコースであったり、あるいは飛距離の差であるのかもしれません。


では”観察できない人”が取る行動といえば何か。

・釣れたルアーが何かを知りたがる
・釣れた場所に投げたがる

という、「水は水であり」「魚は水の中にいる」的な一般人の短絡的思考に陥りがちです。
これだと「次」が来ることは中々ないでしょう・・・

シーバスアングラーたるもの「仕組みがわかったから次は自分で」というベクトルを向かねばならぬのです。







そういうわけで、結論をいうと前者のような観察力が備わっている人は、仮にキャスト技術やロッドアクションが稚拙でも、持っているタックルやルアーが貧であっても、シーバス釣りに非常に向いています。有利です。
他の釣りをやっていて「純粋技術」は備わっているはずなのに、シーバスはイマイチ釣れない、という人は「観察」に力を注ぎましょう。
シーバスは投げているその水域に必ずしもいる魚ではなく、むしろ釣りの方向性としては「何時何処にいて、どういうタイミングで食いの気発生するのか」を探しあてる釣りです。
「投げる」のはもうゴールの一歩手前というか、シーバス釣りにおける最終段階であって、そのキャスト技術だのロッドアクションだの差異が釣れるか釣れないかを決定づける要素には、あまりなりません。










尚、キャスト技術が優れていることは有利であることに違いありません。

シーバス釣り界でのキャスト技術・アキュラシー(精度)の追求熱意はあまり高いものではありませんが、それはアングラーのレベルが低いわけではなく、アキュラシーを追求するリソースを他のことに費やしているからです。

別の言い方をすれば、アキュラシーはある一定のレベルに達していればそれでよく、それ以上の「求道的」なスタンスは効率が悪いと見做されているわけです。必要性・優先順位が低いとされている、とも言います。

ただし、バス釣りのような高精度のキャストが出来ると、俗に言う「穴撃ち」を果敢に行えるようになり、人が狙えない・人が釣れない魚を揚げるチャンスが増えますので、けっしてムダなことではありません。
ただし、そういうメソッドに向いているタックルは汎用性に乏しく、使う人と場所をどうしても選んでしまうことを覚えておいてください。

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Comment 2

2015.09.26
Sat
18:58

ぜりい #-

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No title

お久しぶりです!ブログ再開、嬉しいです!

自分は観察眼に自信がなかったので素潜りセット買って
潜ってみました!
目で見ると全然違いますね。

魚が砂地の中にあるぽつんとした岩場にべったりついてる現場
とかみて結構衝撃的でした。
ストラクチャーが大事って言われてるけどマジなんだこれ・・
とか。

編集 | 返信 | 
2015.09.27
Sun
15:23

ぼらお #-

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Re: No title

> お久しぶりです!ブログ再開、嬉しいです!

ありがとうございます!

> 自分は観察眼に自信がなかったので素潜りセット買って
> 潜ってみました!
> 目で見ると全然違いますね。
>
> 魚が砂地の中にあるぽつんとした岩場にべったりついてる現場
> とかみて結構衝撃的でした。
> ストラクチャーが大事って言われてるけどマジなんだこれ・・
> とか。


素潜りは「素潜り」そのものが楽しいですし、
釣りに応用できる観察ができるんですよね。
①魚の習性をみることができる
②魚の居場所をみることができる
③地形をみることができる


静岡とか神奈川はスピアフィッシングの規制(水中メガネの云々)が強いようでそこが残念ですが、スピアフィッシングをやると魚は背後・頭上に対する警戒心が非常に強いことに驚きます(魚の後方上から迫ってもまず確実に存在を認識されてます)よ!

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