初心者に毛が生えた程度の頃の自分を今の自分が客観的に評価してみる

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2009年から2012年頃の自分はこんなことが出来ていなかったりあんなことが不十分だったりした。

不思議なことに当時既に充足的水準に達していた分野もあった。

逆に当時は出来ていたことなのに今、退化しつつあることもあったりなかったり。


時には自分の歩みを振り返ってみるのも一つの「釣り」の姿です



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結束技術

今でも日々、経験の蓄積とトライ・アンド・エラーの繰り返しによって地味に向上しています。
TPOに合わせたラインシステムの構築とか、スペーサーの導入とかなんとか。


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・・・が、デイリーシーバスに関しては当時から既にある一定の水準に達しており、苦手意識を持っていたとか、結束で困った記憶がほとんどありません。

これには理由がいくつかありますが、主に下記の3つからそうなったのではないかと思います。


一つは、PEラインを使った釣りを開始するにあたって直感的に結束が上手くやれないとこの釣りは続かないぞと悟り、暇があれば練習していたから。

一つは、ラインという魚と自分を繋ぐ「命綱」を人に頼る(預ける)ことはナンセンスである、自分で責任を持つべきであるという意識が強かったから。

そして最後に、ミッドノットという、自分にもっとも合った結束方法に出会えたから。


何にせよ「リーダーは必要である」「結束技術はこの釣りを行う上での根幹要素である」と信じていたからですね。
自画自賛になりますが、これは100%正しかったです。
自分で自分のことを褒めてあげたいです

ショックリーダーの良し悪しに関して

上記と矛盾するようですが、ショックリーダーの良し悪しに関しては随分と無頓着であった期間が長く続きました・・・


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・とりあえず安いリーダー専用フロロを使う時代
・フロロならミチイト用でも漁師用でもなんでもいい、適当なミチイト用のナイロンでもいいと嘯く時代
・強度が安定してくれたほうがいいことに気がついてまたリーダー専用と謳われる製品に戻った時代
・リーダー専用の製品でも松竹梅や方向性の違いがあってその中から自分が好むものを選ぼうとする今

今だと気温水温やロッドの弾性/ガイド設定に合わせながら、場所の特性やターゲットの引きの強弱を意識してラインシステムを構築するために、リーダーの素材やら長さやら太さやら銘柄やらを選ぶことができます。
(フロロで8~10号あたりのサイズから顕著になることですが、寒い時期にはガイド抜けが悪くなりやすくコレは晩秋からの見過ごせない要素である・・・ってな事、知ってました?)

ちなみにPE0.8~1号を使ったデイリーシーバスであれば「柔らかさ」を気に入ってシーガーのプレミアムマックスを愛用しています



キャスティング

飛距離はあまり伸びていない・・・つまり当時から充足的だったと思います
昔から視覚的には何もない流れを撃つことが多かったので、無意識的に少しでも飛距離を伸ばそうと努力していたんじゃないかと思いますね。

一方で精度は横も縦も間違いなく比較にならないほど向上しているはず。
ストラクチャー撃ちの経験が深まるにつれて自然とそうなっていくものですね。

制限下のキャスティング技術は今、一番欲しいモノです・・・もっと具体的にいうと左投げで(本来の自分の投げ方である)右投げの飛距離と精度が出せるようになりたい。
・・・けれども左肩の調子から多分無理であろうと諦めています(苦笑)

フックへの投資

これは最初無頓着で、ある時期を境にして急激に意識と行動が変わったことです。


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フックに関しては入れ食い体験の有無が重要だと思います。

フックが完全にイカれているからアタるのに乗らない
フックがヤバいからヒット数に対してランディング数が少なすぎる
新品のフックを使うと驚くほど成功率が上がった・・・

自分の場合、バチの豊作シーズンを何度が味わったのが転機だったと思います。
そこから刺さりの良し悪しだけでなく、形状/重量とアクションの関係、フックの強さと場所の特性/ロッドのパワー/ライン強度/ドラグ設定の相関関係について、コスパなどなど、色々と考えるようになって今に至ります。

フックがわからない人は釣りがわからない人

これは至言ですネ。

歩行距離

釣行記を読んでいる人ならわかると思いますが、今も昔も歩くことを厭って釣行を手抜き(?)したことがホトンドないです・・・磯でも川でも浜でも港湾でも。

別により歩いたらより釣れるというわけではない(歩かないで釣れるに越したことはない)のですが、歩けば僅かでも可能性が上がるというなら、ただ歩くだけ。

この点は昔から合理的に考えていました!


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朝の早起き

コレ、明らかに退化しています。

昔は行く前から「今日も釣れないだろうな」という覚悟(諦め?)があった自虐的なサーフフラットや、バカでも釣れる漁港サゴシや、エサ師に左右を挟まれて不自由すぎる港湾シーバスみたいな釣りであったとしても、早朝にはシャキーンとして現場一番乗りに近い形で乗り込んでいたのですが、今はもう・・・(苦笑)

一匹の喜びの表現

少し前にとある港湾エリアにて、アジゴの泳がせでシーバスを掛け、取り込みに成功した外国人の釣り集団を目撃したのですが・・・・そのピュアな喜びようといったら見ていて本当に微笑ましい光景でした。
竿の曲がり具合をみてワーワー騒ぐ取り巻き、それを聞きつけてタモを抱えてやってくる日本人のお兄さん達、取り込んでからそのサイズに驚き叫び踊り出す集団・・・


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それをみると色々と考えさせられるものがありました。




あ~、釣りって本来はこんなに原始的で無垢な喜びを与えてくれるものなんやなぁ~

とか

自分も昔はこの喜びを感じていたはずなのに・・・

など



彼らに比べて今の自分は1匹から得られる喜びが・・・うーん、ここは言葉を慎重に選びたいと思いますが・・・「雑」です。

不純であるし、どこか理屈っぽく斜めにかまえているし、雑。

あれはいかんこれはいかんと道徳ポリスになっていたり、あるいは逆に自分が魚を釣れさえすればなんでもいいと傍若無人に振る舞ったり、ブツ持ちドヤ顔してSNSで「いいね!」コレクター・・・すなわち承認欲求モンスターになっていたりする我々は時々初心に帰って「あの喜び」は何だったのか、もう一度考える必要があるんじゃないのかなァと思います。
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