人を釣るな!魚を釣れ!

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シーバス釣りとは、とどのつまりは


「いい場所を知る・いい場所を抑える・いい場所で釣る」


こういう釣りである。


断言していい。





キャスティングだのルアーアクションだのドリフトだの、多少の技術的要素が加味されることも否定できないが、場所選びの次に技術的要素が来るのであってその逆はない。


なのでアングラーとしてある程度完成されてくる・・・つまり、そこそこ釣ってそこそこ経験値が溜まって“識ったつもり”になると


何処に行っても「いい場所」さえ知ればシーバスなんてチョロイもんよ、超イージーよ


という(浅はかな)考えが浮かんでくるものである。

ところが「いい場所」とは、365日24時間永続的に「いい場所」であり続けるものではない。


春には春の、秋には秋の

上げ潮には上げ潮の、下げ潮には下げ潮の

朝には朝の、夜には夜の

大潮には大潮の、小潮には小潮の

港湾部には港湾部の、浜には浜の

バチにはバチの、コノシロにはコノシロの

昨日には昨日の、今日には今日の


それぞれの「いい場所」があって、とある条件ではよくても別の条件ではいいとは限らない。



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つまり「いい場所」には「タイミング」という別の基軸があって、それが「識ったつもりのある程度完成された(浅はかな)アングラー氏」の障害になっているわけだ。

氏くらいのレベルになると、真面目に通い込むことで全体像が見えてきて、どのタイミングでどの場所に行けばいいか、やがて的確な判断が下せるようになったかもしれない。

・・・が、彼はしない。
彼は真面目に通わない。

彼は知っている・・・時間をかけて場所に通ってシーバスの行動原理を知るよりも、人を釣って教えて貰ったほうが手っ取り早くラクだということを。

春はどこがいいか、上げ潮はどこがいいか、バチはどこがいいか、港湾部はどこがいいか・・・彼はその情報を知る人と仲が良くなることによって、問題を解決しているのだ。


そして彼のアングラーとしての成長はそこで止まる。


彼はもしかしたら人より釣るかもしれないが、人より楽しめない。

彼は教えてもらった場所では釣れるかもしれないが、教えてもらっていない場所では歩く気もなければ竿を出して試す気もない。

彼は自分で発見する喜びを忘れ、魚を見ず、場所を見ず、人をだけを見ているのだ。









アングラー氏もかつてはドがつくほどの初心者レベルだった時期があったはずで、一皮剥けるまでは独自の創意工夫を凝らし一人努力したことがあるはず・・・なので、もしかしたら潜在的には高い問題解決能力を持っている人なのかもしれない。

が、安易に人(の情報)に頼るクセが一度ついてしまうとダメなのだ。

魚釣りという高尚な趣味が「結果だけを求める行為」に変わり、やがて「結果を周囲に誇示し承認欲求を満たす行為」という低俗極まりないモノになってしまうからだ。

「なぜそうなのか」という疑問に対する率直な好奇心(←これこそが釣りのコアな部分であり、人を釣りに突き動かす原動力である)がやせ衰え・・・仮説と検証のプロセスに至らず、解答を他所から貰って魚さえ釣れれば後はなんでもいいというスタンスが完成されてしまうと、もうそれはルアーフィッシングではない、別の何かである。



人を釣るな!

・・・ということは「一緒に行くな」とか「教えてもらうな」という意味では、当然、ない。
魚を釣るために人ばかり釣っていると何に成ってしまうのか・・・それは「短絡的な、結果だけを求めるアングラー像」だ(それは趣味という熱が冷める寸前の姿である)。
魚を釣るため・・・つまりいい場所を知るため、無駄を省こうとするため、効率のみを求めるために人に頼るな依存するなという意味である。



魚を釣れ!

・・・ということは(シーバスにおいては)場所を知るということであり、タイミングを知るということであり・・・すなわち、季節を、ベイトを、潮を・・・シーバスの行動を、シーバスの生態を知るということ。



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一朝一夕で身につくものではないからこそ、奥が深いものだからこそ、探求して止まないのです。
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