そろそろブログのネタバレをしようか

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ぼらおさんは「文体」に関してはとても器用であって、TPOに応じた使い分けが自由自在にできるのであるが、釣りブログを始めるにあたってはどのような文体で書くか迷った。

「ポエム」は避けねばならぬ。
「知った風の上から目線」は喜ばれぬ。
「無機質な記録」ならば公開する意味がない。
「オラつき」は論外。

自分のアタマの中の「文体データベース」を検索した時、ある作家のことを思い出し、ブログ開始より15年ほど前に読んだ本を買い直して読んだ。





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あっ・・・


ってわかる人はもうわかったでしょ(笑)
ポイントは「軽薄さ」であり「軽妙さ」でもあり・・・要するに

「こんな釣りにマジになっちゃってどうすんの 完」

っていう空気を演出したかったんですね。
だって釣りですよ、釣り・・・魚相手のハナシですよ。

ぶっちゃけ、いい歳した男が魚を何匹か釣ろうと釣るまいと世界は変わらないんです。
妙齢の女性が魚を何匹か釣ってみせると世界に多少の変化を及ぼすことができるのは公然の秘密である
どう表現しても最終的には「たかが魚」になるんです。
自分が釣った自分の魚のストーリーですらやがて色褪せしまうのに、人が釣った魚(←読者目線で)なら尚の事・・・結局は「たかが魚」という最小公約数に落ち着く訳です。
マジになっても仕方がないでしょ。

え、世界は変わらなくても男は釣りを通じて変わることが出来るって?
じゃあ魚を釣る過程で起きた男の内面の変化を描く・・・みたいな純文学的要素、需要あんの?
それって本気で書けば書くほどポエム化してしまい、救いようのない結末しか見えなくないですか?(苦笑)





あ、何か話がズレてますけどね、釣りブログを書く時に「軽妙・軽薄な語り口」のモデルとなる文体がどこかにあったような気がするようなぁ~って思い出したのが町田康・・・特に「くっすん大黒」から「屈辱ポンチ」それに「夫婦茶碗」の頃の、町田康だったんです。

「恥をさらけ出したい」というのも主要なテーマの一つで、ブログの初期の頃はもっと面白かったんですけどね・・・あちらこちらから検閲が入ってしまい、使える言葉がどんどん狩られてしまって「ああ、自由な言論はこうやって抑え込まれていくんだ」と身を以て実感しましたね(違)

まあ、ぼらおさんのブログから文章的(構成やら切り出し方やら)な影響を受けている釣りブログもまた間接的に町田康の影響を受けていることになります。
このブログを知っていて町田康も知っている人ならもう納得していることでしょう。
このブログを知っているが町田康は知らないという人は一冊読めばわかります。
最初の一冊は「くっすん大黒」がお勧めかな。

ちなみにぼらおさんが普段好むのはどちらかというと命題に対して断定的に語るような文体です・・・つまりこのブログで使われている文体は「作られた」モノなんですね。
ま、プログラマが案件に応じて使用言語を使い分ける感じだと思ってつぁーさい



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