記憶に残るアングラー

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2011年か2012年のこと・・・おそらく2012年ではなかろうか?

まだ薄っすらと陽が残る5月の夕マズメの港湾部で、ド下手クソども一般人たちがティップを海面に近づけてじゃかじゃかと「バス巻き」をする中、1人だけ頭上高くティップを掲げ独特のゆっくりしたテンポでリールを巻いていた人がいました。

バチパターンをある程度体験し、雑誌やらでバチパターン攻略情報を収集していたぼらおさんはピーンときました・・・これが噂に聞く「曳き波メソッド」というヤツでは?・・・と。

すこし離れた場所からしばらく眺めていると、その人の一挙手一投足の動作(投げる・巻く・針先をチェックする)がサマになっていることに気がつきました。
言うまでもなく、上手な人は何気ない動作や姿勢が美しいのです。

それから使っているルアーが細身の棒状シンペンで飛距離が他の人と全然違ったことにも気がつきました。
飛距離から考えるに使っていたのはニョロニョロ125かマニック115だったんじゃないかなぁと思いまする





そしてしばらくすると、氏の遠投+ティップ上げ+細身棒状シンペンの組み合わせにバイトが集中し、釣っては放し、放しては釣っての爆釣モードに突入するのですが、当の本人は一連の流れの中で淡々としているではありませんか。
ちなみにタモ入れの動作までサマになっていてその熟練の度合いが伝わってきました。

ぼらおさんは本能的に悟りました・・・膝をついてティップを限りなく水面まで近づけてリトリーブしていた雑魚どもド素人どもはただの泥団子で、ぼらおさんはせいぜい石ころ・・・しかしこの人はまさしく「玉」であってアングラーとして格上だなと。

しばらくすると氏はスズキサイズと思わしき個体を釣ったらしく、その1匹だけは地面に置いて撮影して誰かに電話をかけ、そしてそのまま電話で喋りながらリリースを終えるとその場からスッ消えたのでした。
ぼらおさんの前に空いた「玉座」が残されたワケですが、当時は長い棒状のバチシンペンを持っておらずワンダーか何かを使ってティップを高~くあげて曳き波スローリトリーブを真似てみたのですが、せっかくの「玉座」を活かすことができずにセイゴが1,2匹釣れて終わったと記憶しています。


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が、問題はそこにあるのではありません・・・

都市港湾の釣りに慣れていなければ師匠も居なかったぼらおさんは初めて「正しい釣り」というものの威力を見せつけられたのです。

上手な人はいつもこんなに簡単にシーバスを釣っているんかと震え慄きましたね。
それと同時に、同じ釣り場にいてこれほどの違いが出るものかと心底驚きました。
「必ず釣れる」とまるで前もって知っていたかのような自信に満ち溢れた釣り方と、対照的に淡々とした取り込みとリリース・・・
その威風堂々たる姿ときたら・・・(笑)
この人は知ってた。
この人には確信があった。

要するにその夜、ぼらおさんはbewitchedされたンですな。
一言も言葉を交わしていないその人に。
ワタクシは「独りよがりではない、状況に合った正しい釣り」に魅せられてしまったンです。
自分に足りないモノに気がついたンです。

シーバスはパターンにハメることができるが、無数にあるパターンの組み合わせを熟知していなければならない、と。

シーバスは机上の空論・・・どこかで仕入れた知識を膨らませて現場で応用していく釣りではなく、実践を通じて世界を広げていく釣りであり連日連夜、釣行を重ねていくことが大切であるんだな、と。

そして自分はそれがまだ足りてない・・・全然足りてない、と。

もちろん同じようなバチシンペンを買って明日の晩に同じところで投げたら(多少は)その爆釣劇を味わうことができるかもしれない。
が、しかしバチが消えたら?季節が移り変わったら?他の場所ではどうすればいいのさ?
I have no idea ですよ・・・もし翌日に細長いバチシンペンを使って多少釣っていい気になったとしても別のシチュエーションでソレを再現してみせる術が自分にはない・・・が、きっと氏は別の季節、別の場所、別のベイトでも似たようなことができるのであろう。

シーバスの熟練者とはそういう存在なのであろう、と。

いや、実際のところは知らないけれども、少なくともそう思わせるに足る洗練された釣り様でした。


「ホンモノ」は釣っているその姿だけで誰かを正しい方向へと教導することができる。


そういう説得力のあるアングラーになりたいなと、今でも密かに思っています。
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